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追悼 有賀秀子先生

2024年12月に元帯広畜産大学名誉教授の有賀秀子先生が亡くなりました。91歳でした。

私は、大学へは行っておらず先生との接点はありませんでした。

1988年、帯広市の日協設備の斉藤社長に誘われて東京有明の展示会へ行き、生まれて初めてジェラートにふれ十勝で酪農家として国内初のジェラート店をオープン、同時に羽田空港でハーゲンダッツアイスクリームを食べて、当時北海道では食べることができなかったハーゲンダッツタイプのアイスクリームに挑戦しました。

母校の帯広農高プラントを見学して(時間が余り)隣の帯広畜産大学をアポイント無しで訪問、まるで絵本の物語の様な展開に。事務所で対応してくれた方が池田町出身の田淵さん、見学はOKとなり田淵さんが「大学にとても熱心な先生がいますが会ってみますか」と、電話してくださり、先生から「20分なら」ということでお会いし、アメリカの牧場で研修し(エダリン)という牧場をモデルに、「羽田で食べたハーゲンダッツを作りたい!!」と、思いを20分間で語りました。

即決で「大学の研究室でやりましょう」と大学に研究費を払い、テーマは「添加物を用いないアイスクリームの研究」に1年間大学の研究室に通いました。お手伝いいただいた助手の方2名は、のちに帯広畜産大学の教授とコープさっぽろの総菜会社の社長さんに、学生さんは横浜のハーゲンダッツ工場へ就職しました。

作った作品は①バニラ②十勝ブランデーで35年間作り続けています。

当時、助教授の先生は(醍醐と蘇の研究で博士号を取得)1990年に(ハッピネスデーリィのオープン年)教授となり、退任後は名誉教授になり帯広市の教育委員長に。1998年の大学退任式典にはお声が掛かって出席した次第です。

1988年当時は、酪農家が作る乳製品工場は(許認可)の時代で、「前例がない」と渋る官庁に、池田ワイン城講堂で先生が講義「アイスクリームの歴史と作り方と将来の展望について」をしてくださいました。

ただの十勝の酪農家のためにご尽力賜り現在に至った事、有難く感謝申し上げます。

ハッピネスデーリィのバニラと十勝ブランデーを食べるときに先生のことを思っていただくと嬉しいです。  合掌

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